麻布十番といえば商店街!その歴史は300年以上

六本木ヒルズからほどちかいにもかかわらず、高級住宅地の閑静な雰囲気と、どこか懐かしい下町の雰囲気をたたえる麻布十番。東京メトロ南北線、都営地下鉄大江戸線の麻布十番駅を出ると、異国を感じさせる石畳の街並みが放射線状に広がっています。これが日本でもっとも有名な商店街のひとつ、麻布十番商店街です。

この麻布十番商店街の歴史は古く、商店街の成り立ちはなんと300年以上前にさかのぼります。もともとは麻布山善福寺の門前町として栄え、古川が流れる一の橋周辺は交通の要所としてその存在感を示しました。江戸時代から大名屋敷や武家屋敷が建てられ、門前町として商業も栄え、麻布十番は街として発展していきます。

「麻布」という名称で呼ばれるようになったのは元禄時代(1688年〜)と言われていますが、麻布十番の周りを見渡しても「九番」も「八番」も見当たりません。麻布十番1丁目〜4丁目の周りにあるのは、元麻布、南麻布、東麻布など・・・。この名前の由来は諸説あり、1675(延宝3)年の古川の改修工事に着手したのが十番目だったとか、十番目の土置き場だったからとか、十番馬場と呼ばれた馬場があったからと言われています。それが1962(昭和37)年の町の統合時に、十番組屋敷、十番橋など江戸時代の俗称を復活させて「麻布十番」と名付けられました。
 
麻布十番商店街は、「一の橋」から「仙台坂」にかけて広がっていますが、商店街を区切るこれらの場所も歴史ある場所です。「一の橋」は首都高速の一の橋ジャンクションでその名前を知っている人も多いかもしれませんが、ちょうど高速道路の下のあたりに、一の橋公園があります。この公園はまさに麻布十番が発展する元となった古川が公園内を貫き、湧水を活用した"水の公園"となっています。噴水や水のアーチが印象的な公園で、夜間はライトアップされ、幻想的な雰囲気を醸し出しています。実はこの公園、江戸時代の末期に浪士組を結成し、明治維新の火付け役となった庄内藩の志士・清河八郎が暗殺された場所でもあります。

また、「仙台坂」は南麻布一丁目と元麻布一丁目を貫く坂ですが、その名のとおり、江戸時代には仙台藩の屋敷が近隣にありました。現在の仙台坂の中腹にある韓国大使館から二の橋付近までが仙台藩の敷地というからその広大さにびっくり。といっても、当時は低地側は湿地だったため、高台部分を屋敷として使用していたようです。

明治・大正時代になると河川の改修や干拓も進み、さらなる発展を遂げます。花街(芸者街)としてもにぎわい、関東大震災後は寄席や映画館、デパートまででき、東京屈指の繁華街となりました。

昭和に入り、昭和大恐慌、日中戦争などで麻布十番の勢いにも陰りが見え始めます。そんななか、第二次世界対戦が始まり、1945(昭和20)年、2度の空襲で麻布十番は焼け野原となってしまいました。しかし、終戦翌年には「麻布十番マーケット」と称してバラックの店が立ち、復興が始まります。1951(昭和26)年には映画館もオープン、商店街を中心に着々と復活しました。東京タワーが完成した翌年の1959(昭和34)年には商店街にアーケードが建設されました。1983(昭和58)年には「東京都モデル商店街」に指定され、名実ともに東京を、日本を代表する商店街になったのです。

1986(昭和61)年には商店街の憩いの場である「パティオ十番」が完成し、1991(平成3)年にアーケードが撤去されると、現在の麻布十番商店街の形にほぼ近づいていきます。

そんな麻布十番も、実は2000年に地下鉄が開通するまでは鉄道、地下鉄が通っておらず、港区にありながら「陸の孤島」と呼ばれていました。しかし、それが逆に付加価値となり、タクシーや車などでしか訪れることができないため、隠れ家的な人気を博し、芸能人や著名人たちから愛されたことから一気にその知名度があがりました。特にバブル期は、鳥居坂下にディスコ・マハラジャができ一世を風靡し、多くの流行に敏感な若者たちが街を訪れました。

その後、東京メトロ南北線、都営地下鉄大江戸線の開通、さらに2003年には隣接する六本木六丁目に六本木ヒルズが開業し、「麻布十番」の置かれた環境は激変することになります。

しかし、商店街では独自に「十番ルール」なるものを制定し、ずっと変わらない商店街の雰囲気作りを目指しています。その内容は、

・麻布十番ブランドを保ちます(現状多くの小売店は午後8時、飲食店は午後11時で終了しています。「夜の街」にならないように品のある麻布ブランドを保つ)
・家庭的な温かな雰囲気づくりを進めます(子どもや高齢者に声をかけるなど、親切で安心安全な商店街作りにご協力ください)
・魅力ある商店街づくりを進めます("ほほえみの街・麻布十番""住み続けたい街・麻布十番"をコンセプトに一致協力して商店街作りに参加)

など、訪れる人もおもてなしする人も、誰もがほっこりした気分になれる「麻布十番」が守られているのです。

老舗から最新ショップまで。麻布十番を彩る個性的なお店たち

訪れる人にとっても、そこに暮らす人にとっても、麻布十番の大きな魅力はなんといっても商店街の個性豊かなお店の数々。「麻布永坂更科本店」「総本家更科堀井」(ともに1789年/寛政元年)など江戸時代から200年以上も続く老舗蕎麦屋から、今話題の犬のためのマッサージ店まで、お気に入りが必ず見つかる幅広いラインアップも人気の秘密です。

まち歩きの醍醐味である食べ歩き&お土産スイーツも新旧バラエティー豊か。老舗では江戸時代から続く豆菓子の専門店「豆源」(1865年/慶応元年)や、東京随一の人気を誇るたい焼き店「浪花屋」(1909年/明治42年)、たぬきの形をした直焼きのおせんべい「たぬき煎餅」(1928年/昭和3年)など世代を超えて愛されています。またニューフェイスとしては、50種類以上のフレイバーから選べる「麻布かりんと」や丹波黒豆を使った和菓子やお茶を取り扱う「しろいくろ」なども人気。イートインできるお店もあるので、散策の途中でふらりと立ち寄るのも楽しいでしょう。

「麻布永坂更科本店」港区麻布十番1−2−7
「総本家更科堀井」港区元麻布3−11−4
「豆源本店」 港区麻布十番1−8−12
「浪花屋総本店」 港区麻布十番1−8−14
「麻布十番たぬき煎餅」 港区麻布十番1−9−13
「麻布かりんと 麻布十番店」 港区麻布十番1−7−9
「しろいくろ」 港区麻布十番2−8−1
 
食べ物以外の生活雑貨やお土産のお店も非常に個性的です。海外買い付けやハンドメイド品などこだわり帽子を販売する60年以上続く老舗「とらや帽子店」で一点ものの帽子に巡り合ってみたり、日本で最初に「絵てぬぐい」という呼称を使いブームの先駆けとなった「絵てぬぐい麻の葉」で日本の粋に触れてみたり・・・。それ以外にも、米国欧州から直輸入の子供服のお店「プリテンシス」や、昭和4年創業でオリジナル商品も豊富な「平野屋紙文具店」、香道や茶道の稽古場もある和の香り専門店「麻布 香雅堂」など、老若男女問わず、ほかの街ではなかなか一堂に会すことのない、ひと味もふた味も違ったお店巡りを1日で堪能できるのも麻布十番の醍醐味です。

「絵てぬぐい 麻の葉」港区麻布十番1−5−24
「とらや帽子店」港区麻布十番2−19−1
「子供服 プリテンシル」港区麻布十番2−14−8
「平野屋紙文具店」港区麻布十番1−8−13
「麻布 香雅堂」港区麻布十番3−3−5

そして、ランチに、ディナーに、何度も訪れたいのがおいしいレストラン。和洋中エスニック、なんでもそろって、超高級店から庶民の味までラインナップが幅広いのも、懐の深い麻布十番ならではでしょう。

ピザのおいしいお店といえばここ!と言われる有名店「SAVOY(サヴォイ)」、ミシュランで1つ星を獲得した北京ダックが絶品の「中国飯店 富麗華(ふれいか)」、同じくミシュランで星を獲得した「天冨良よこ田(てんぷらよこた)」などの名店はもちろん、気軽に立ち寄れるお店も充実しています。昭和8年創業の老舗やきとん「あべちゃん」はやきとん5本セットが850円とお手ごろなテレビでも紹介される人気大衆居酒屋、"すべてはおいしい魚のために"を標榜する魚専門店「魚可津」は、魚はもちろんお米もおいしくてランチも人気です。

そのほか、洋食も老舗が軒を連ねます。財政界、文壇などをはじめ幅広く支持されている有名店「グリル満天星」は麻布十番が発祥の地。創業60年以上地元で愛され続ける正統派洋食店「EDOYA(えどや)」のデミグラスソースは2週間以上かけて作る逸品です。

「SAVOY(サヴォイ)麻布十番店」港区元麻布3−10−1
「中国飯店 富麗華(ふれいか)」港区東麻布3−7−5
「天冨良よこ田(てんぷらよこた)」港区元麻布3−11−3パティオ麻布10番Ⅱ 3階
「あべちゃん 麻布十番店」港区麻布十番2−1−1
「魚可津(うおかつ)」港区麻布十番1−5−10
「グリル満天星 麻布十番本店」港区麻布十番1−3−1
「EDOYA (えどや)」港区麻布十番2−12−8

そのほか、まち歩きのメインイベントとなる体験型やワークショップを提供しているお店もあります。日本初の「万華鏡専門店カレイドスコープ昔館」では本格オイルスコープ(万華鏡)体験レッスンを実施していたり、こちらも日本初のハワイアンカルチャー専門の総合教室「HUIHUI(フイフイ)」ではフラ(ハワイアンダンス)からハワイアンキルト、リボンレイまで幅広くハワイ文化を体験できます。「スロースタイル薬局Liko」ではなんと服を着たままわずか3分間でかくれ肥満など見えないリスクをチェックしてくれるなど、変わり種の体験ものもあります。

「万華鏡専門店カレイドスコープ昔館」港区麻布十番2−13−8
「HUIHUI(フイフイ)」港区麻布十番2−3−5
「スロースタイル薬局Liko」港区麻布十番2−11−5

このように、個性豊かな麻布十番のお店の数々は、テレビの情報番組や雑誌で取り上げられるのはもちろんのこと、映画やドラマのロケ地としてもしばしば登場しています。

『JINー仁ー2』(出演:大沢たかお、綾瀬はるか、TBS系、2011年)のエンディングに登場する麻布十番の今昔を伝えるのは「永坂更科布屋太兵衛麻布総本家」。『抱きしめたい!Forever』(主演:浅野温子&浅野ゆう子/フジテレビ/2013年)で浅野ゆう子演じる早川夏子夫妻がオーナーをしている中華料理店は「中國菜 老四川 瓢香 麻布十番本店」が使われました。地上波テレビ局キー局はすべて港区内にあり、麻布十番のように道路事情が非常のよい場所はアクセスの面でもロケにもぴったり。ドラマや映画を見るときに、劇中や最後のエンドロールに注目していると、思わぬ形で麻布十番のお気に入りのお店が登場することがあるかもしれません。

歴史ある街ならでは!麻布十番の顔5選

江戸時代から門前町として栄え、国際色豊かな麻布十番は、歩いていてもさまざまな表情を見せるため、ゆっくり散策するのにぴったりの街。旧所名跡もたくさんあります。

麻布山 善福寺
善福寺の門前町として栄えた麻布十番を語るのに欠かせない浄土真宗本願寺派の寺院。安政の仮条約から明治元年までアメリカ公館が置かれ、ハリスらが居住していたことでも知られています。敷地内にはハリス記念碑が建立されており、当時の歴史を私たちに伝えています。もともとは空海(弘法大師)により824(天長元)年に創建された古刹で、その後鎌倉時代に浄土真宗にあらため、関東七ヶ寺になりました。

善福寺は太平洋戦争の東京大空襲で焼失。そのため大阪府八尾市にあった寺院が移築されました。この移築された寺院は、もともと徳川家康が京都東本願寺として建立したもので、その後東本願寺を立て直す時に八尾に移築。それがさらに東京に移築されることとなり、現在にいたります。そのため建物自体は300年以上の歴史があります。

そのほか、敷地内には天然記念物に指定された推定樹齢750年の逆さ銀杏や、福沢諭吉のお墓、越路吹雪の碑などもあります。
住所:港区元麻布1−6−21

麻布十番納涼まつり
麻布十番商店街では1年を通してさまざまなお祭りやイベントが開催されていますが、その規模も来場者数も知名度も、圧倒的なのが毎年8月の第3土曜・日曜日に開催される「麻布十番納涼まつり」です。2015年はなんとわずか2日間で約50万人の来場者を記録!そして2016年にはいよいよ第50回目を迎えます。

このお祭りがほかと違うのは、その出店。金魚すくいや綿菓子といったいわゆる日本のお祭りの屋台もありますが、メインとなるのは商店街を長年支えてきた老舗や気鋭の名店たち。ものすごい混雑を乗り切りさえすれば、1日で10店舗分食べ歩くのも夢ではありません。また「おらがくに自慢」として日本全国からお国自慢が勢ぞろい。そのほか、子どもたちが存分に遊んで楽しめる「ふれあい子供広場」も設けられるので、子ども連れも安心です。

もちろん、催しも充実していて、江戸の粋がたっぷり感じられる「祭囃子屋台」が十番稲荷神社に設置されるほか、パティオ十番の特設ステージでは昼から夜までひっきりなしに、パワフルなステージパフォーマンスが繰り広げられます。

そのほかのイベントは麻布十番商店街のホームページでチェック!
http://www.azabujuban.or.jp/event/

きみちゃん像
「♫赤い靴はいてた女の子 異人さんに連れられて行ったった〜」の歌い出しで、誰もが知っている童謡『赤い靴』(野口雨情作詞・本居長世作曲/1922年発表)は、実在する少女・岩崎きみちゃんを題材にしていると言われています。実際の少女は孤児院に預けられ、結核に冒され、異国に行くこともなく、母と再会もせず、わずか9歳で亡くなってしましました。少女の母は最愛の娘がアメリカで幸せに暮らしていると思い込んだままその生涯を閉じたそうです。

その少女の最期を看取った孤児院が麻布の鳥居坂教会(現・十番稲荷神社)だったことから、1989年2月28日、パティオ十番に『きみちゃん像』(佐々木至作)が建立されました。像の足元には冥福を祈る人々から浄財が置かれ、その累計はすでに1300万円に達しています。麻布十番商店街では毎年、世界中の恵まれない子たちのために日本ユニセフ協会に寄贈しているそうです。
住所:港区麻布十番2−3−8 パティオ十番内

パティオ十番
\東京メトロ南北線4番出口を出て、パティオ通りをまっすぐ進むと、6本のケヤキが目印の「パティオ十番」があります。「きみちゃん像」がひっそりと佇むのもこの広場内です。1986年に完成したこの広場は麻布十番商店街の憩いの場であり、催しも開催されます。「麻布十番納涼まつり」の特設ステージもここに設置され、毎月第1土曜日には骨董市が開かれます。レンガの石畳はまさに海外の「パティオ(中庭)」そのもの。ケヤキが四季折々の表情を見せ、クリスマスシーズンは幻想的なイルミネーションで彩られます。映画やドラマ、CMなどのロケ地になることもしばしば。『流星の絆』(主演:二宮和也)や『キラキラ研修医』(主演:小西真奈美)などもここで撮影されました。
住所:港区麻布十番2−3−8

十番稲荷神社
「麻布十番納涼まつりでも祭囃子屋台が設置される十番稲荷神社は、地下鉄の駅7番出口から出るとすぐ、徒歩0分にある小さな神社。小さいといっても侮るなかれ、見どころはいっぱいです。港七福神のお社でもあり、「港七福神宝船」や「かえるのお守り」が有名です。

ちなみに港七福神めぐりは、港区内の七福神と宝船のあるこちらの十番稲荷の計8か所をめぐるもので、毎年元旦から成人の日までの期間限定で行われています。

七福神めぐりは専用の用紙ですが、十番稲荷神社オリジナルの御朱印帳がかわいいと密かな人気に!そのほかにも、毎月1日15日の月次祭でしか入手できない御守護札など限定アイテムも多く、何度もお参りしたくなる神社です。
住所:港区麻布十番1−4−6

インターナショナル&アカデミックな街・麻布十番

最近でこそ海外からの観光客が増え、都内のいたるところで多くの外国人を見かけるようになりましたが、麻布十番では昔から多くの外国人の人たちが街を歩いていました。それもそのはず。港区には多くの外資系企業のほか67か国もの大使館があり、麻布十番の周辺にもドイツやオーストリアなどの古参大使館から、最近移転してきたアルゼンチン、スロヴァキアまで多くの国の大使館が点在しています。

古くは江戸末期に麻布山善福寺にアメリカ公館が置かれたことにはじまりました。善福寺にはハリスらが居を構え、今でも記念碑が残っているほどです。明治開国時期は海外からの使節団の宿泊場所や公使館として寺院が使われていましたが、イギリス、フランス、ポルトガル、オランダ、スイスなどは麻布界隈の寺院を拠点としました。それらの使節団の宿泊などに使われた寺院が麻布十番をはじめとする港区に多かったことが起因して、現在でも大使館や外国人居住区が麻布周辺に集中しているのでしょう。

実際、港区の人口における外国人の比率は10%近くに及び、特に元麻布、麻布台、六本木の割合はなんと20%を超えるそうです。これはニューヨークに匹敵する割合で、まさに麻布が国際都市であるといえるでしょう。

これらの大使館は、国際色豊かな麻布界隈の雰囲気作りにも一役買っています。ビルの中に入っているまるでオフィスのような大使館もありますが、有名な建築家ミカエル・グラニットが設計したフィンランド大使館や、「これぞ大使館!」と思わせる庭と公邸が美しいフランス大使館など、歩いているだけでも目の保養になります。

また、中国大使館や韓国大使館も麻布界隈にあるため、中華料理や韓国料理のお店も数多くあります。「中華 登龍(とうりゅう)」はタモリさんや歌舞伎役者の6代目中村勘九郎さん、アイススケートの高橋大輔選手なども通っていると公言している名店。また、韓国家庭料理の「鳳仙華(ほうせんか)」は、麻布十番に事務所を構える直木賞作家の志茂田景樹さんが30年来通っていることでも有名です。そのほか、コラーゲンたっぷりの参鶏湯(サムゲタン)が有名な韓国料理「グレイス」は、美に敏感なモデルたちの間でも根強い人気を誇っています。このように、新大久保とはまたひと味違ったアジア色も織り交ぜっていて、国際色豊かなレストランが数多くあるのも麻布十番の魅力といえるでしょう。

「中華 登龍」 港区麻布十番2−4−5
「鳳仙華」 港区麻布十番2−21−12
「グレイス 麻布十番店」 港区麻布十番1−7−2

以前は、夏の風物詩「麻布十番納涼まつり」で、それぞれの大使館を中心に世界各国の料理を提供する屋台が出店し、国際色豊かな麻布十番を1日で体感することができていました。しかし、会場だった「一の橋公園」の改修工事を境になくなってしまいました。この夏の夢の祭典にはファンも非常に多かったので、今後の復活に期待したいところです。

麻布十番はインターナショナルであると同時に、アカデミックな街でもあります。

近隣には東洋英和女学院(幼稚園~高等部)、南山小学校、西町インターナショナルスクールなどのがあり、商店街はその通学路でもあるからです。

東洋英和女学院といえば、1884年開校の名門の女子校。カナダ人宣教師マーサ・カートメルが麻布の鳥居坂に「東洋英和女学校」を開校したことからその歴史が始まりました。当時の教育の様子はNHKの朝の連続テレビ小説『花子とアン』(主演:吉高由里子)でも取り上げられました。タレントでエッセイストの阿川佐和子さんも東洋英和女学院の高等部の卒業生で、そのほかにも、現在活躍中の現役アナウンサーらを数多く輩出しています。

また西町インターナショナルスクールはなんと60年の歴史を誇るインターナショナルスクール。これだけ長い年月、地元に根付いていることも麻布十番らしいといえるでしょう。国際的で斬新な教育方法を取り入れており、その実績は高く評価されています。授業はすべて英語でありながら、日本語は必修科目。日本文化に触れながら、世界へと羽ばたく人材を育成しています。

このように児童、学生が多いこともあり、麻布十番商店街では「健康・健全な商店街づくり」を掲げ、風俗営業や客引きのない街づくりを徹底しています。

そのほかにも広尾方面に向かうと有栖川宮記念公園と進学校の麻布中学校・高校があり、三田方面に向かうと慶應義塾大学があるなど、その環境は子どもたちにとっても非常に恵まれたものとなっています。

特に、有栖川宮記念公園は、旧有栖川邸にある庭園で、都内とは思えない自然豊かな1万1000坪の敷地に野鳥や四季折々の草花を見ることができます。1973(昭和48)年には、東京都立中央図書館や港区立麻布運動場なども公園に編入され、まさに市民の憩いの場となっています。1975(昭和50)から港区立の公園となりました。

ちなみに、慶應義塾大学の創設者である福沢諭吉のお墓は、前述の麻布山善福寺の中にあります。

坂の多い街・麻布十番を、由来をたどりながら散策する

一の橋公園を貫く古川から高台に向けて広がる麻布十番は、坂の多い街でもあります。港区内には89の坂がありますが、なんとそのうち42の坂が麻布地区に集中しています。その坂の名前の由来や、往時を偲ばせる歴史を知って麻布界隈を歩けば、もっと麻布を好きになる楽しい散策になることでしょう。

仙台坂
二の橋交差点付近から麻布十番3丁目を通って仙台坂坂上交差点に至る、麻布十番商店街の境界線にもなる坂。その名のとおり、江戸時代は仙台藩伊達家の下屋敷があったことがその名の由来です。明暦の大火の後、四代目藩主・綱村の隠居所となった場所であり、坂の南部一帯に下屋敷が作られました。現在、韓国大使館があるあたりです。古来よりウグイスが有名で、松尾芭蕉もこの地で「うぐいすをたずねてたずねて阿佐布まで」という句を詠みました。

鳥居坂
六本木5丁目あたりから南に下るこの坂は、日本屈指の華麗なる歴史を紡いできた坂のひとつです。江戸時代、幕末は、丸亀藩の支藩である多度津(たどつ)藩・京極家の屋敷がありましたが、その後は初の外務大臣となった井上馨の所有となり、さらに三菱財閥総帥・岩崎小弥太らの手を経て、国有地となりました。そのため、明治〜大正期のこの坂の周辺は大変優雅で、華族・三条邸や鳥居坂御料地などが置かれ、1884(明治17)年には東洋英和女学校が開校しました。坂の名前の由来は、江戸時代に鳥居氏が住んでいたという説と、坂上に神社の鳥居があったという説もあり定かではありません。

南部坂
南麻布4丁目と5丁目の境界にある坂で、坂上にはドイツ大使館があります。江戸時代、現在の有栖川宮記念公園のあたりに、奥州南部藩の屋敷があったことから名付けられました。もともと有栖川宮記念公園には浅野内匠頭長直の下屋敷がありましたが、1656(明暦2)年、南部山城守思直の中屋敷(現在の赤坂氷川公園あたり)と相対替があり、南部藩が麻布に移ることとなりました。そのため赤坂にも「南部坂」が存在しています。

暗闇坂
麻布十番2丁目から元麻布3丁目方面に延びるこの坂は、昔は木々が鬱蒼と茂り、昼間でも暗かったことから、この名前が付きました。あまりの暗さゆえ、幽霊や妖怪の伝説も数多く生み出され、「幽霊坂」とも呼ばれたほど。現在では、左側にオーストリア大使館が立ち、木漏れ日が漏れる明るい坂となっており、当時の面影はどこにも見当たりません。坂の上には一本松があり「江戸名所図会」にも登場しています。

一本松坂
元麻布1丁目、2丁目ととおる坂道。源経基(みなもとのつねもと)などの伝説を持ち、古来より脈々と植え継がれてきた一本松が坂の南側にあるため名付けられました。この一本松は「麻布七不思議」の一つでもあり、甘酒を竹筒にいれてこの松におさめると咳が治るといわれていました。この一本松付近は変型交差点になっており、それぞれ一本松坂、暗闇坂、大黒坂、狸坂につながっています。また岩波正太郎「鬼平犯科帳」には「麻布一本松」という話も登場します。この一本松は5代目の松の木になります。

狸坂
元麻布2丁目、3丁目付近にあるこの坂は、人をだます狸がいたことから名付けられた坂。この坂に住んでいた狸が、石を赤ん坊に見せかけて人間たちに運ばせていたため、いつもこの坂には石塔などが転がっており、「狸坂」と呼ばれたそうです。港区にはなんと1960(昭和35)年ごろまで狸が棲んでいたというから驚きです。狸坂は、泉鏡花「雪柳」にも登場し、岡本綺堂は「綺堂むかし語り」のなかで狸坂にまつわる句を詠んでいます。別名、旭坂といいますが、これは東にのぼるためと言われています。

永坂
麻布永坂町から六本木5丁目までつながるとにかく長い坂道。名前の由来は定かではありませんが「長い坂だから」というのが有力説となっています。坂の途中には、江戸時代から続く老舗の蕎麦屋「永坂更科」があります。正岡子規も「蕎麦屋出て永坂上る寒さかな」という句を残しています。なお、港区では1962(昭和37)年以降、港区でも新たに街区制定が行われ、古い町名は続々と姿を消しました。そんななか、麻布永坂町と麻布狸穴町はその名が今なお残っています。

狸穴(まみあな)坂
麻布台2丁目から麻布狸穴町にある、永坂の東に位置する坂道。昔、この坂下にメスだぬきが住む大きな穴があったことに由来するといわれています。この穴は採鉱の穴だったとも言い伝えられており、この古洞がいつごろからあったかは不明で、「麻布七不思議」の一つとされています。ちなみに、「まみ」とはメスだぬきやムササビ、アナグマなどのことだそうです。

鼠(ねずみ)坂
港区で唯一、旧町名が残る麻布永坂町と麻布狸穴町の境をとおる長い坂道。ねずみしか通れない細い道が名前の由来ですが、江戸では細長く狭い道を「ねずみ坂」と呼ぶ習わしがあったそうです。今ではその狭さも解消されています。この坂は島崎藤村の短編小説『嵐』の舞台の一つ。坂の上は植木坂につながっています。

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