2016年4月27日

インターナショナル&アカデミックな街・麻布十番

最近でこそ海外からの観光客が増え、都内のいたるところで多くの外国人を見かけるようになりましたが、麻布十番では昔から多くの外国人の人たちが街を歩いていました。それもそのはず。港区には多くの外資系企業のほか67か国もの大使館があり、麻布十番の周辺にもドイツやオーストリアなどの古参大使館から、最近移転してきたアルゼンチン、スロヴァキアまで多くの国の大使館が点在しています。

古くは江戸末期に麻布山善福寺にアメリカ公館が置かれたことにはじまりました。善福寺にはハリスらが居を構え、今でも記念碑が残っているほどです。明治開国時期は海外からの使節団の宿泊場所や公使館として寺院が使われていましたが、イギリス、フランス、ポルトガル、オランダ、スイスなどは麻布界隈の寺院を拠点としました。それらの使節団の宿泊などに使われた寺院が麻布十番をはじめとする港区に多かったことが起因して、現在でも大使館や外国人居住区が麻布周辺に集中しているのでしょう。

実際、港区の人口における外国人の比率は10%近くに及び、特に元麻布、麻布台、六本木の割合はなんと20%を超えるそうです。これはニューヨークに匹敵する割合で、まさに麻布が国際都市であるといえるでしょう。

これらの大使館は、国際色豊かな麻布界隈の雰囲気作りにも一役買っています。ビルの中に入っているまるでオフィスのような大使館もありますが、有名な建築家ミカエル・グラニットが設計したフィンランド大使館や、「これぞ大使館!」と思わせる庭と公邸が美しいフランス大使館など、歩いているだけでも目の保養になります。

また、中国大使館や韓国大使館も麻布界隈にあるため、中華料理や韓国料理のお店も数多くあります。「中華 登龍(とうりゅう)」はタモリさんや歌舞伎役者の6代目中村勘九郎さん、アイススケートの高橋大輔選手なども通っていると公言している名店。また、韓国家庭料理の「鳳仙華(ほうせんか)」は、麻布十番に事務所を構える直木賞作家の志茂田景樹さんが30年来通っていることでも有名です。そのほか、コラーゲンたっぷりの参鶏湯(サムゲタン)が有名な韓国料理「グレイス」は、美に敏感なモデルたちの間でも根強い人気を誇っています。このように、新大久保とはまたひと味違ったアジア色も織り交ぜっていて、国際色豊かなレストランが数多くあるのも麻布十番の魅力といえるでしょう。

「中華 登龍」 港区麻布十番2−4−5
「鳳仙華」 港区麻布十番2−21−12
「グレイス 麻布十番店」 港区麻布十番1−7−2

以前は、夏の風物詩「麻布十番納涼まつり」で、それぞれの大使館を中心に世界各国の料理を提供する屋台が出店し、国際色豊かな麻布十番を1日で体感することができていました。しかし、会場だった「一の橋公園」の改修工事を境になくなってしまいました。この夏の夢の祭典にはファンも非常に多かったので、今後の復活に期待したいところです。

麻布十番はインターナショナルであると同時に、アカデミックな街でもあります。

近隣には東洋英和女学院(幼稚園~高等部)、南山小学校、西町インターナショナルスクールなどのがあり、商店街はその通学路でもあるからです。

東洋英和女学院といえば、1884年開校の名門の女子校。カナダ人宣教師マーサ・カートメルが麻布の鳥居坂に「東洋英和女学校」を開校したことからその歴史が始まりました。当時の教育の様子はNHKの朝の連続テレビ小説『花子とアン』(主演:吉高由里子)でも取り上げられました。タレントでエッセイストの阿川佐和子さんも東洋英和女学院の高等部の卒業生で、そのほかにも、現在活躍中の現役アナウンサーらを数多く輩出しています。

また西町インターナショナルスクールはなんと60年の歴史を誇るインターナショナルスクール。これだけ長い年月、地元に根付いていることも麻布十番らしいといえるでしょう。国際的で斬新な教育方法を取り入れており、その実績は高く評価されています。授業はすべて英語でありながら、日本語は必修科目。日本文化に触れながら、世界へと羽ばたく人材を育成しています。

このように児童、学生が多いこともあり、麻布十番商店街では「健康・健全な商店街づくり」を掲げ、風俗営業や客引きのない街づくりを徹底しています。

そのほかにも広尾方面に向かうと有栖川宮記念公園と進学校の麻布中学校・高校があり、三田方面に向かうと慶應義塾大学があるなど、その環境は子どもたちにとっても非常に恵まれたものとなっています。

特に、有栖川宮記念公園は、旧有栖川邸にある庭園で、都内とは思えない自然豊かな1万1000坪の敷地に野鳥や四季折々の草花を見ることができます。1973(昭和48)年には、東京都立中央図書館や港区立麻布運動場なども公園に編入され、まさに市民の憩いの場となっています。1975(昭和50)から港区立の公園となりました。

ちなみに、慶應義塾大学の創設者である福沢諭吉のお墓は、前述の麻布山善福寺の中にあります。

2016年4月20日

坂の多い街・麻布十番を、由来をたどりながら散策する

一の橋公園を貫く古川から高台に向けて広がる麻布十番は、坂の多い街でもあります。港区内には89の坂がありますが、なんとそのうち42の坂が麻布地区に集中しています。その坂の名前の由来や、往時を偲ばせる歴史を知って麻布界隈を歩けば、もっと麻布を好きになる楽しい散策になることでしょう。

仙台坂
二の橋交差点付近から麻布十番3丁目を通って仙台坂坂上交差点に至る、麻布十番商店街の境界線にもなる坂。その名のとおり、江戸時代は仙台藩伊達家の下屋敷があったことがその名の由来です。明暦の大火の後、四代目藩主・綱村の隠居所となった場所であり、坂の南部一帯に下屋敷が作られました。現在、韓国大使館があるあたりです。古来よりウグイスが有名で、松尾芭蕉もこの地で「うぐいすをたずねてたずねて阿佐布まで」という句を詠みました。

鳥居坂
六本木5丁目あたりから南に下るこの坂は、日本屈指の華麗なる歴史を紡いできた坂のひとつです。江戸時代、幕末は、丸亀藩の支藩である多度津(たどつ)藩・京極家の屋敷がありましたが、その後は初の外務大臣となった井上馨の所有となり、さらに三菱財閥総帥・岩崎小弥太らの手を経て、国有地となりました。そのため、明治〜大正期のこの坂の周辺は大変優雅で、華族・三条邸や鳥居坂御料地などが置かれ、1884(明治17)年には東洋英和女学校が開校しました。坂の名前の由来は、江戸時代に鳥居氏が住んでいたという説と、坂上に神社の鳥居があったという説もあり定かではありません。

南部坂
南麻布4丁目と5丁目の境界にある坂で、坂上にはドイツ大使館があります。江戸時代、現在の有栖川宮記念公園のあたりに、奥州南部藩の屋敷があったことから名付けられました。もともと有栖川宮記念公園には浅野内匠頭長直の下屋敷がありましたが、1656(明暦2)年、南部山城守思直の中屋敷(現在の赤坂氷川公園あたり)と相対替があり、南部藩が麻布に移ることとなりました。そのため赤坂にも「南部坂」が存在しています。

暗闇坂
麻布十番2丁目から元麻布3丁目方面に延びるこの坂は、昔は木々が鬱蒼と茂り、昼間でも暗かったことから、この名前が付きました。あまりの暗さゆえ、幽霊や妖怪の伝説も数多く生み出され、「幽霊坂」とも呼ばれたほど。現在では、左側にオーストリア大使館が立ち、木漏れ日が漏れる明るい坂となっており、当時の面影はどこにも見当たりません。坂の上には一本松があり「江戸名所図会」にも登場しています。

一本松坂
元麻布1丁目、2丁目ととおる坂道。源経基(みなもとのつねもと)などの伝説を持ち、古来より脈々と植え継がれてきた一本松が坂の南側にあるため名付けられました。この一本松は「麻布七不思議」の一つでもあり、甘酒を竹筒にいれてこの松におさめると咳が治るといわれていました。この一本松付近は変型交差点になっており、それぞれ一本松坂、暗闇坂、大黒坂、狸坂につながっています。また岩波正太郎「鬼平犯科帳」には「麻布一本松」という話も登場します。この一本松は5代目の松の木になります。

狸坂
元麻布2丁目、3丁目付近にあるこの坂は、人をだます狸がいたことから名付けられた坂。この坂に住んでいた狸が、石を赤ん坊に見せかけて人間たちに運ばせていたため、いつもこの坂には石塔などが転がっており、「狸坂」と呼ばれたそうです。港区にはなんと1960(昭和35)年ごろまで狸が棲んでいたというから驚きです。狸坂は、泉鏡花「雪柳」にも登場し、岡本綺堂は「綺堂むかし語り」のなかで狸坂にまつわる句を詠んでいます。別名、旭坂といいますが、これは東にのぼるためと言われています。

永坂
麻布永坂町から六本木5丁目までつながるとにかく長い坂道。名前の由来は定かではありませんが「長い坂だから」というのが有力説となっています。坂の途中には、江戸時代から続く老舗の蕎麦屋「永坂更科」があります。正岡子規も「蕎麦屋出て永坂上る寒さかな」という句を残しています。なお、港区では1962(昭和37)年以降、港区でも新たに街区制定が行われ、古い町名は続々と姿を消しました。そんななか、麻布永坂町と麻布狸穴町はその名が今なお残っています。

狸穴(まみあな)坂
麻布台2丁目から麻布狸穴町にある、永坂の東に位置する坂道。昔、この坂下にメスだぬきが住む大きな穴があったことに由来するといわれています。この穴は採鉱の穴だったとも言い伝えられており、この古洞がいつごろからあったかは不明で、「麻布七不思議」の一つとされています。ちなみに、「まみ」とはメスだぬきやムササビ、アナグマなどのことだそうです。

鼠(ねずみ)坂
港区で唯一、旧町名が残る麻布永坂町と麻布狸穴町の境をとおる長い坂道。ねずみしか通れない細い道が名前の由来ですが、江戸では細長く狭い道を「ねずみ坂」と呼ぶ習わしがあったそうです。今ではその狭さも解消されています。この坂は島崎藤村の短編小説『嵐』の舞台の一つ。坂の上は植木坂につながっています。

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